賛否コメント承ります。 NoisyPerson

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罪と罰と償いについて

罰と償いは別の話

 犯罪の加害者は起訴され、裁判所において判決が言い渡されます。有罪の場合、その刑罰は罰金、禁錮、懲役、死刑などがあります。ドラマなどで受刑者が刑期を終えると、「罪を償ったのだから」と言うセリフが多く見られますが、私はいつも違和感を感じていました。

 では、罪を償うにはこの刑罰を全うすれば良いのでしょうか。被害者が居ない、或いは微罪で被害者の処罰感情が弱い犯罪であればそれで良い場合もあります。しかし、刑期を全うしたと言うのは、単に司法上の責任を果たしただけです。

 

加害者側と被害者側の考え方の違い

 「刑期を終える=罪を償った」と考えるのはあくまで「加害者側の理屈」であって、被害者側から見れば「まだなにも始まっていない」と考えるのが妥当でしょう。

 なぜなら、たとえ収監されている間に改心したとしても、それは加害者本人の問題だからです。そんな事は被害者にとって関係のない事ですから、憤りは何も解消されません。

 

償いとは

 償いとは何でしょう。頭を下げて許しを乞う言葉を発すれば、償いが終わったと言えるのでしょうか。その行為は「謝意を示した」だけであり、相手が赦さなければ「償いが終わった」とは言えないでしょう。「謝意を示した」と「償いが終わった」は分けて考えるべきです。

 当然、被害者やその家族(遺族)が赦さない事もあるでしょう。赦さない理由は大きく二通り考えられます。

 一つは加害者に謝る意志が感じられない場合です。これは加害者が悪いと思っていない、或いは形式的に謝意を示すことで、やり過ごそうとしている場合です。当然、被害者側に赦される訳が有りません。この場合は民事で訴えて慰謝料などを勝ち取ったとしても、支払われる事は期待できないかもしれません。

 もう一つは、いくら謝意を示してもしても赦す事など出来ない場合です。例えば殺人罪や〇〇致死罪など被害者が死んでいる場合、或いは被害者がPTSDなど大きな精神的ダメージを受けている場合が考えられます。被害者側としてはそう簡単に赦せる内容ではありません。

 被害者の処罰感情が強い犯罪においては、被害者に赦される事によって、初めて償ったと言えるのではないでしょうか。獄中からの言葉での謝罪や、釈放後の行動による謝罪など方法は様々ですが、それが被害者側に伝わり、本当に詫ているのだと感じられない限り、償いが終わることなど無いのです。

 

一生謝罪する覚悟を持つしか無い

 それでは「一生謝罪して生きていくのか」と、思う方も居るでしょう。私は赦されないなら一生謝罪し続けるべきだと考えます。赦されない程の甚大な損害を与えたのだから、謝罪をし続けるしかないという事です。いずれ被害者側に伝わり、赦される日が来るかもしれませんが、赦されない事をしたという自覚は持ち続けるべきでしょう。