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日本の中の「問題視されていない問題」を勝手に持論展開しています。賛否コメント承ります。また、持論展開して欲しい「テーマ」も募集しています。タイムリーじゃない事柄でも構いませんのでぜひコメントへ。

いじめは犯罪、聖域は詭弁

いじめという言葉が罪の意識を薄めている

 いじめと言われる内容にも様々あります。身体的な暴力、持ち物を隠す・捨てる・破る、言葉による暴力(ネットによるものも同様)、無視、嫌がることを押し付けるなどが一般的でしょう。

 私は、「いじめ」という言葉が罪の意識を薄めていると考えているので嫌いです。先程例に挙げた行為の殆どが刑法に抵触します。暴行罪、傷害罪、窃盗罪、器物損壊罪など、十分逮捕理由になります。無視や嫌がることを押し付けるなどはパワハラに当たります。

 

いじめは必ずしも見えるとは限らない

 学校などではいじめは日常的に行われています。学校関係者の中には「我が校にいじめはありません」という方もいらっしゃるでしょう。はっきり言って、浅はかです。それどころか教師がいじめに参加していることもあります。

 全校生徒が10人以下などの特殊な環境の学校であるなら、いじめが無い学校も存在するかもしれません。しかし、何百人も居る学校でいじめが全く無いと考える教師は、楽天的過ぎます。生徒のサインを見逃しているとしか考えられません。

 そもそも、ハッキリ分かるようないじめをする人など、居るわけがありません。加害者は当然のことながら悪事だという自覚が有るからです。加害者側に「いじめているか」と問えば「いじめて(る認識は)ない」と答えるでしょう。なにせ「悪いことをしている」認識は有るのですから当然そういう答えになります。被害者側に、口裏を合わせるよう強要することも、日常的に行われていると考えるのが自然です。それに気付かないのは、想像力、洞察力が欠如していると言わざるを得ません。

 「いじめはある」という大前提で調査を行わなければ、正しい調査結果が得られるわけがありません。

 

学校の対処は間違っている

 現在の学校では、被害者側を保護という名目で隔離してカウンセリング等を行い、加害者側は特に隔離などせず「反省文を書かせる」程度のペナルティがせいぜいでしょう。これでは何もしてないに等しいでしょう。

 ひどい学校なら加害者側に謝罪させ、被害者側に赦すよう「強要」してるでしょう。この場合はいじめを助長してるともとれます。なにせ「謝れば良いだけ」ですから反省などする訳がありません。

 加害者側がさほどペナルティを受けなければ、「バレなければ良い」、「バレても大した問題にならない」という思想が増大し、後に犯罪行為などに発展しかねません。

 ヨーロッパなどでは「いじめを行う人」は適応障害などの精神疾患を患っており、社会に馴染めるように成るまで隔離して治療すべきだと考えます。まるで日本とは逆ですが、この方がより現実の事象に合致しているように感じます。

 

罪を犯せば罰を受ける事を自覚させる

 成人年齢の引き下げや凶悪犯罪の適応年齢引き下げなど、司法は世論に推される形で少年犯罪に対して厳しい方向に進んでいます。学校はこの事をもっと重く受け止めるべきです。学校の社会的体裁(実際には教師達の個人的な体裁)を気にして隠蔽すれば、悪いことをしても「バレなければ問題ない」という思想に傾倒していくでしょう。そうなれば人は、「どうすればバレないか」、「次こそはうまくやろう」などと、考えるようになるものです。

 良くあろうとするのは難しいことです。人は普通であることを受け入れられなければ、悪くあろうと考えるものです。悪いことをすることで承認欲求を満たし、自分は特別な存在だと思うことができるからです。悪くあろうとするのは当人の勝手ですが、罪には罰が伴うと言う事実を自覚させるべきです。

 

「聖域」は隠蔽しやすくするための言い訳

 学校内で問題が起きた場合によく取られる行動は、「継続的に指導、観察します」や「様子を見守りましょう」などと言って、最終的に有耶無耶にし隠蔽します。たとえ子供がやったことであっても、刑法などの法律に照らし合わせて、該当する場合は警察を通すべきです。

 学校側は「聖域」と言う言葉を使って自分たちで処理しようとしますが、そもそも教師にそんな権限はありません。罪を裁けるのは判事のみに許された権限です。学校に関する法律を拡大解釈し、警察に委ねるか示談にさせるかを勝手に決めているだけです。

 いじめに該当する可能性が在る全ての事柄は警察を通すべきです。立件するか、起訴猶予で様子を見るかは司法に委ね、学校はそれに応じた対応を検討し実施すべきです。

 学校の中の出来事は学校で対処するという、「聖域」と言う名の「傲慢」が、犯罪予備軍の温床であるという事実を自覚し、もっと重く受け止めるべきです。